8月4日 ボードゲーム会感想

今回は半クローズの少人数のゲーム会に参加してきました。

プレイしたゲーム

トランスアメリカ チャイニーズ×2

シュティッヒル

ハイソサエティ×3

私が夢見るとき

ゾン噛まPARTY‼︎

その他の卓ではイントロクイズなどが盛んに行われていました。

また、Jさんの誕生日祝いをサプライズでしてました。微笑ましい瞬間でございました。

久々の少人数会で、濃密な時間を過ごせました。また、このような突発的に開かれる会に是非、可能な限り参加したいと思います。


雑記

自分の抱えている苦しみ、心中をわかってくれないというのはさらなる苦しみを生むわけでして、例えば、現在、抱えている苦しみや心中を相手に話すと、黙って聞いてくれる方やその人なりの考え、苦しみを和らげてくれる言葉をかけてくれる方は救われるのだが、第三者を引き合いに出し、あなたよりこの人の方が苦しんでいるんだ、その苦しさに比べれば、あなたの苦しみはまだ軽い、マシだと言ってくる人がたまにいる。何故、追い込むようなことを宣うのか?そういうことを言われると苦しみが倍増し、嫌になる。苦しみを話すということは理解してもらいたい、聞いてもらいたいと思って話しているのに、第三者を引き合いに出し、私が抱えている苦しみを否定、軽いと主張する。そのことに何の意味があるのかと思う。他意なく、そのような発言をしているとしたら、恐ろしい話である。その人は無意識に苦しさを抱えている人を言葉で追い込んでいるからだ。苦しみを深くさせている。言葉で人を殺している。所詮、その苦しみは抱えている当事者しかわからないのかもしれないが、否定などはしない方がいいであろう。


乱文失礼致しました。

オープン会とコミュ力

今回のテーマはタイトルにあるように、オープン会とコミュ力である。

オープン会とは、基本的に誰にでも門戸を開いているボードゲーム会で、不特定多数の参加者がいる。

顔見知りの方もいれば、はじめましての方もいるのが特徴で、そのオープン会に初参加はとても緊張することはこの上ないであろうことと思うが、特にコミュ力が弱い、所謂コミュ障、人見知りなどは顕著であろう。私は、コミュ障な上に人見知りのため、初参加の会などは緊張し

会場で足がすくむこともあるほどである。そこでありがたいのは、会のサポート体制である。主催の方、スタッフが声掛けをしてくれたり、親しげな雰囲気を醸し出していたら、自然と緊張も和らぐが、残念ながらそういう体制を整えられている会はあまりない。半ば、放置されたこともあり、そういう会は再参加は考えられない。1人の1人の参加者を大事にして、定着させることが、ゲーム会が乱立し、飽和状態となった今の世に求められることではないかと。会が多数あるということは、選択肢が多いということで、参加者をおざなりにすれば、自ずと参加者は減る。盛者必衰である。

付け焼き刃的に色々、練り込んでみても、結局参加者対応が悪ければ、意味はあまりないであろう。

ただ、主催・スタッフが参加者に遜れば良いと言っているわけではない。温かく対応してもらいたいということだけ、孤立しているような参加者が見られたら、卓に促すなどケアをしてやれば、良いのである。一日中、くっついてケアしろは無理難題のは承知である。

時たま、周りをちょっと気にすればいい。それだけで、大分変わるものである。

参加者皆が、積極的な訳ではない。ボードゲームは好きで、遊びたいけど、どうしても受身になってしまう。声が掛けられない人だっているのだから、そういう人には何かしらのケア・サポートが必要なのである。


乱文失礼致しました。

7月21日 ゲーム会感想

本日は第7回バトレボオフさんに参加してきました。

この会には初参加となります。

ポケモンカードポケモン対戦(各種世代)、ボードゲームと様々なコンテンツを兼ね揃えている会でした。

参加者数も90人程(1次会のみ、2次会のみ、1.2次会参加と様々)

大変、賑わっておりました。

プレイしたゲーム

初代ドラフト 2戦

4thGS 初戦勝ち、2試合目負け。

ちなみに、今回はポケモン対戦目的で参加したので、ボードゲームはしておりません。

私が素晴らしいと思った点は、実機(DS、3DSなど)を持っていない人にはレンタルという形で遊べるようにしてあることと、ソフトも貸出できるようにしていたことです。このシステムなら、ポケモンから遠のいていた人も遊べます。私は実機、ソフト共になかったため、レンタルさせていただきました。また、受付時は1.2次会参加で、参加費も支払っていたのですが、1次会しか参加できなくなってしまい、その旨を伝えると快く、支払済の2次会分の参加費を返金していただきました。主催の方、スタッフの方の対応も丁寧で良かったです。

久々にポケモン対戦ができてとても楽しかったです。関西在住で、ポケモン対戦をしたい、ソフトは持っていないけど、ポケモン対戦したいと思っている方はこういった会があるので、参加してみたらいかがでしょうか?初代から最新世代までプレイできるので、ポケモン好きには良い会です。ポケモンカードの方も賑わっておりましたので、ポケモンカード好きの方もお勧めできる会となっております。

雑記

今回は、コミュ障は同盟を結べるか検討したいと思う。このテーマについては、自分自身コミュ障なので何度か考えたことがあるテーマでもある。

私自身の考えとしては、「無理」と言える。コミュ障同士は結びつかない、相入れないのだ。話を引き出す、非コミュ障がいてこそ成立するのだ。コミュ障同士だと、互いに沈黙を解かず、終わるであろう。一口にコミュ障といっても、趣味嗜好も違うし、思想思考も異なるので、同じコミュ障でも人間的に合うかはわからないのが本当のところである。

現に今まで比較的親しくなった方々は非コミュ障であったのが何よりの証明である。私のようにコミュ障の沼に入り込んだ人間と親しくなることはあまりない。しかも、難儀なことに私は人の好き嫌いがはっきりとしているので、一度嫌い・苦手と思った人間にはなるべく近づかないようにしている。正直、絡みたくないのだ。向こうだって、コミュ障で何を考えているかよくわからない人間とは親しくなりたくないだろうから互いにwin-winの関係である。しかも、猜疑心が比較的強いので、人を簡単に信用しない。所詮、赤の他人

血の繋がりはなく、いつ足元をすくわれるかわかったものじゃないと一種の自衛心が働くのだ。本筋から離れた気がするが、コミュ障とコミュ障、同盟は結べない。仮に結べたとしても利害が一致しただけの浅はかな同盟と言えよう。いつ、同盟が破棄されるかわかったものではない。

互助は大事だが、真の友情を欲するなら、コミュ障抜きにして同じ趣味を持つ人なり、自分と共通点を持つ人を見つけ出し、仲良くすべきだ。コミュ障も確かに共通点ではあるが、それだけでは親しみに持っていきづらい。趣味が同じならば、話も弾むし、話をしていて楽しくなる。コミュ障同盟はいわば、砂上の楼閣で、幻想に過ぎない。学生時代、コミュ障同士で何かしらの互助組織、同盟は結べないかと考えたが、すぐに机上の空論だと思い知り、同じ趣味を持つ仲間などを探して仲良くするように心がけた。無趣味のコミュ障はどう立ち振る舞いをするのか、それは謎である。孤立したコミュ障は心の拠り所がなく、外界の関係を絶って引き込もってしまったり、カルト・新興宗教の方々に狙われやすいので、要注意である。

コミュ障同士でも、独自のカーストがあるので要注意である。迂闊に親しみを持つと痛い目を見るので気をつける。

よくある、サブカルチャーでの繋がりも良し悪しであるが、長くなるので控える。

同族嫌悪という言葉もある通り、コミュ障はコミュ障を嫌っている、忌避している。こいつと同じ目で見られたくないという思いが少なからずある。それでは、同盟・互助なんて到底無理である。ああ、哀れなり。脱コミュ障を達成した人も中に入るみたいだが、生粋の非コミュ障には負ける。変におちゃらけて、周りの輪を乱す、スベる。見ていて痛々しい限りであるが、聞き耳はおそらく持たないであろう。彼は脱コミュ障をしたのではない、自分を偽って強がっているだけだ、同じコミュ障だからわかる独特の雰囲気、空気感、トークスキル、異性に対する立ち回り。全て、コミュ障の名残が拭いきれていないのが、コミュ障から見てなんとなくわかる。

そういう輩は、非コミュ障と連んで、コミュ障を馬鹿にしたり、見下したりするが、そういう輩は元はコミュ障の出だから、加減を知らない。見兼ねた周りがやんわり指摘するが、元コミュ障だから、相手の遠回しの指摘に気付かず、最終的に振る舞いを改めず、孤立するという悲惨な形で幕切れになる。脱コミュ障も辛いのだ。生まれついたコミュ障は中々拭いきれない。それならば、コミュ障を受け入れるべきだ。無理に変えなくても、生きやすさを見つけ出せるはず。まあ、各々のやり方・考え方にケチをつけたり、否定することはしないでおこう。ただ、同族だからと信じて疑わず、近づき傷つかないためにも、事前に見極めも大事だ。容姿は一要素になるが、過信はするな。同族の容姿でも、根明はいる。気を抜くな、油断するな

これが言いたかったのである。勿論、コミュ障同士の同盟が結ばれているところもあると思うので、今回のは私個人の一意見・一考えとして捉えてもらいたい。

駄文・長文を長々と書き連ねたが、ご容赦願いたい。非常に読み難い文章だと思う。同じ、コミュ障の方々に読んで、意見を聞いて見たいと思う。この考えに意見・反論・他の考えがあると思う方々はコメント下されば良い。是非、拝見したいと思う。最後に上記の記述は私個人の考えで、誰かを批判・非難・否定・中傷を目的とした記述ではないことをここで改めて言いたい。非常に読み難い文章で、誠に申し訳ございません。


乱文失礼致しました。

ブログとTwitter

私はブログとTwitterを一応、使い分けているつもりである。

ブログには多少辛口の批判を書いたりするし、長々と文章を並べ立てることもある。しかし、Twitterでは控えている。Twitterは不特定多数の人が、見やすいのでふとした呟きから炎上したり、バトルになりやすいし拡散もされやすい。

私はそういう面倒臭いのが、嫌なのでTwitterでは当たり障りなく、呟いたりフォロワーの呟きを見たりしている。

批判などはブログに書けばいいのである、ブログならTwitterに紐づけてツイートしたりしなければ、あまり人目につかないものだと私は思う。

しかし、ブログでも抑えめには心掛けている。ブログでも、たまたま見た人が、こんなことを書いている奴がいるとツイートされたら、やはり炎上の元になるからだ。だから、ブログでも本当に書きたいことがあっても書けないのである。もはや、誰かに愚痴という形で聞いてもらうしかないわけだ。

私の気の弱さから起因していることだが、そういうところも気にしなければ、駄目なのである。ましてや、私はゲーム会にも参加しているわけだから、悪い意味で有名になったり、騒ぎの元になったら出禁扱になっても仕方がないと思う。それは私にとって、不利益であるし、書きたいことを制限されることよりマズイことなので、控えるようにしている。Twitterを見ているとたまに至極どうでも良いことに突っかかられている方を見ると、その辺でお辞めになった方がよろしいのではないでしょうかと言いたくなることもしばしば散見するが、やはり要らぬことにこちらから首を突っ込む必要はないと傍観に徹する。傍観者は去れと言われかねないが、これもまた致し方がないであろう。

Twitterでバトルするのも良し、それを傍観するのも良し、様々な見方があるだろう。

でも、至極どうでも良いことになんで熱くなれるのか、私には見目がつかない。色々な悩み事がある私からすれば、そのようなことで熱くなれるのがある意味羨ましい限りである。これ以上書くとまた、過剰な批判になるのでやめておく。


乱文失礼致しました。